こたつウサギの寝言

思ったこと・感じたことをつらつらと

札幌での熊駆除、批判するのは想像力が足りないから

こんなニュースを目にしました。

 

「クマを駆除した札幌市に批判的意見殺到」

 

おそらく銃殺したことに対する反応だと思うのですが、正直ビックリです。

 

その意見の多くが、「施設・動物園に入れるべき」「麻酔打って山に返せ」などというもの。一札幌市民から言わせてもらうと「は?何言ってんの?」って感じです。

 

そんなの市だって考えたはずです。その上でやむを得ず駆除という形を取ったんです。地元のテレビ局でも新聞でもクマ出没ニュースはちょくちょく取り上げていたので、箱罠を仕掛けて捕獲を試みたことや近隣住民がどれだけ不安だったかなどは理解しているつもりです。だから、駆除という形は何も不思議じゃない。むしろやっと不安から解放されて良かったねという感じ。

 

 

今回のように表面的な情報だけで判断し批判する人は想像力がないと言わざるを得ません。

 

確かに得られる情報量なんかは地元とそれ以外では全く違うでしょう。でも、想像することくらい誰でも出来ます。なんで駆除という方法を選んだのか、市・住民視点から考えると理解出来るはずです。

 

市は箱罠を仕掛けて捕獲を試みましたが、結果は捕まらず。住民からしたら1週間以上不安な日々を過ごし、一刻も早く解決して欲しい。さらに、クマの性質上1度人や車に慣れるとその後何度も同じようにやってきます。これらを考慮すると、山に返すことの危険さや一刻を争う事態であること、手段が限られることなどが見て取れます。

 

情報がなくてもこの程度なら容易に想像出来るでしょう。これが分からないという時点で想像力に欠け、物事を1つの方向からしか見られない証拠です。それから、そもそも罠を仕掛けたことやクマの性質すら知らない状態で批判している人に言っておきたい。知らないなら端っから口出しするな。批判するならせめて自分で調べて全体を把握した上でしていただきたい。

 

こういう表面的な情報だけで批判する人の一番厄介な点は、本人達が自分の意見に自信を持って正しいと思い込んでいること。あなたの周りにも居ませんか?よく知りもしないくせにやたらアドバイスとか説教してくる人。おまけにこちらの声には耳を貸さないタイプが。薄っぺらい正義を振りかざしてくる人ほど厄介なものはありません。まず、自分の意見が正しいと確信していなかったらそもそも声高らかに主張しません。こう思うけどたぶん本人にも色んな事情があるから一概にこう、とは言えないなという思考回路を通るはずだから。

 

また、批判の声の中心は首都圏や関西なんだとか。まあ無理もない。そもそもクマとは無縁そうな地域だし。居たとしてもツキノワグマでしょう。

 

ツキノワグマの平均体長はおよそ150㎝。対して、今回駆除された雌のヒグマは140㎝。一見害はなさそうですがヒグマを侮ることなかれ。これはまだ成長途中です。完全に大きくなったら平均180㎝、体重は200キロ前後になるそうです。もうほぼ琴奨菊のサイズです。

 

考えてみて下さい。自分の家の庭や外階段を琴奨菊が歩き回っているのを。「あ~良い朝だなぁ」と言ってカーテン開けたら目の前に琴奨菊が立っているのを。絶望です。人間には勝てません。いくら雌といえどむこうは琴奨菊。大人の男性ですら太刀打ち出来ません。

 

施設に入れたり山に返せって意見だって、自分のことじゃないからあれこれ言えるんです。他人の気持ちに寄り添って考えられないという点では共感能力も皆無でしょう。いざ自分がその立場になった時に果たして同じ事が言えるでしょうか。

 

目に見えない部分にまで思考を巡らせられない人って、危機察知能力も低いと思われます。自動車学校でだってやるでしょ?危険予測って。こんなことが起きるかもしれない、だからこうしておこうなどと考えられないのは時に命の危機に関わります。よく考えもしないで批判している皆さん、くれぐれも交通事故には気をつけて下さい。