こたつウサギの寝言

思ったこと・感じたことをつらつらと

何でも写真撮影する日本人にちょっとツッコむ

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どうも、ダービーです。

 

令和に入り早くも一週間が経ちました(これ書いてる時点では)。生前退位ということもあり、世間はまるでお祭りムード。企業とかからすれば良いチャンスなのは分かります。にしても浮かれてる大人がちょっと多すぎやしませんか?テレビなんかで見ててちょっと引きますもん。

 

話が逸れましたね。とは言いつつ、今回の本題に関係無いわけではありません。ニュースなんか見てると、人混みの中から中継とかやってますよね。僕あれ結構好きなんですけど、世の中自分には理解出来ない人がいるもんです。その1つが、やたら写真撮る人」です。

 

今回の新元号発表も然り。改元は5月からでしたが、発表は4月1日でしたね。改元時ならまだしも発表の時に、子どもならまだしも大人まで。パッシャパシャ写真撮ってるわけですよ、令和というただの文字を。ただの発表ですよ。変わるのまだ一ヶ月先なのに。僕の性格が悪いだけかもしれないですが、もはや不思議を通り越して滑稽でした。

 

確かに平成の発表の映像ってしょっちゅう目にしました。やたらテレビで流れてたもんね、ここ最近。そういった意味では令和の映像もある意味歴史の1ページと言えるかもしれません。でもねぇ。そのうち令和のもテレビで見れるから。わざわざ撮らなくて良いじゃん。あとその撮ったやつ本当に見返す?どうせ見ないんでしょ?完全なる偏見だけど。なぜ今後見返しもしないものを撮るのか僕には理解出来ません。

 

あ、あれですよ?いーや、私は月1ペースで見返します、だから意味あります。という方には何の問題もないと思いますよ。理解はし難いけど。問題なのは、撮るだけ撮って、まず見ないという人。こう言うと、いやそんなこと言ったら旅行行った写真だってそんな頻繁に見ないじゃん!とか屁理屈並べてくる人が出てくるかと思います。そんな人に言いたい。

 

それとこれとは別だよ!

 

ちょっと考えたら分かること。旅行の写真はたとえそんなに見返さなくても、自分自身の思い出。それに対し、令和の文字with菅さんは日本全体の一出来事。そこに撮った人自身の思い出は存在しません。この点において、同じ写真でも価値に差が出ている訳です。プライベートな思い出は自分で保管しないと簡単に形を失います。令和発表なんて撮らなくてもテレビとかでやってくれるからさぁ。

 

見返した時の反応も違います。旅行の思い出写真は、あー!懐かしいねぇ、行った行ったここ!とかなるでしょう、たぶん。いわゆるエモいってやつですかね。個人的にはこの言葉も好きじゃないけど。令和の文字にはそれは無いと思います。あるとすれば、ああ、このときの官房長官菅さんだったねーくらいでしょう。

 

要するに、写真に収めたその一瞬への思い入れが違うんです。自身の体験・思い出と結びついていない写真ばかり撮って何が楽しいんでしょうか。いや、やりたきゃやってもらって構わないですよ。さすがにやるなとまでは言いませんよ~。その様子をテレビ越しに見るのが僕の楽しみの1つですし。(←やっぱ性格悪いわ)

 

ここまで令和を例に話してきましたが、他にもそういう場面ありますよね。例えば、街中で見かけた芸能人を収めた写真。え、それ撮って何になるの?ってやつね。その芸能人と一緒に撮った写真は分かります。その人と会ったという思い出がそこにあるから。芸能人単体で撮ってもあとで見返して懐かしー!ってなる?と聞きたい。それに許可無く撮る人もいるから向こうに迷惑だしな。

 

 

derby-rabit.hatenablog.com

 


 

なぜ大人にもなって、自分の思い出でもない写真をやたら撮るのか僕なりに考えてみました。たどり着いたのは、やたら「記念」というものを大事にする人が多いからという答えです。それこそ改元は何十年に一回の出来事だしね。珍しさだったり記念だったりすれば写真に残す。その考えが、自分の息子・娘を撮るなどという所から、自分自身にあまり関係しない事にまで広がったんじゃないかなーと個人的に思いました。

 

それと、日に日に僕自身の口が悪くなっていくのを実感してます。悪化してるというより、自分の本音・本心が顔を出し始めたに過ぎないというべきでしょうか。こんな自分が末恐ろしい。