こたつウサギの寝言

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「何事も経験だ」は真実か?

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どうも、ダービーです。

 

誰しも一度は「人生、何事も経験だ」という一言を耳にしたことがあるのではないでしょうか?

 

そのほとんどは目上の人による発言でしょう。

 

ここで一つモヤっとポイントが。

果たして本当に「何事も経験が大事」なのだろうか?という点です。

 

疑問に思った方もいらっしゃるはずです。ネット上でも、【何事も経験 嫌い】という関連キーワードが出てくるほどです。

 

先に言っておきますが、僕は決して否定派ではありません。

むしろ、経験は大事だと思います。ただ「何事も」という部分が気になるだけです。

 

今回は、「何事も経験だ」と言い張る人の心理面考察、並びにこの主張が本当に正しいのかについて考えていきます。

 

※例の如く、個人的主張に留まります。よって異論は大歓迎です。

 

 

「何事も経験だ」と言う人を考察

結果論

 

一つ目の原因は、ズバリ結果論です。

 

苦労・挫折・苦痛などを経験した末、結果的に好転したからそう言えるのだと推測します。

 

「今となってはあれも良い経験だったなあ...」と前向きに振り返られるのは、結果良い方向に働いたからです。

 

ここでバッドエンドだった場合、誰しも自分の経験を肯定できないはずです。目をつぶりたい嫌な過去として刻まれます。

 

人間、ポジティブな面もネガティブな面も持ち合わせていることがほとんどです。「良い思い出」とできない場合だってありますよね。

 

意味があると思いたいだけ

 

二つ目の原因として考えられるのは、過去の記憶の美化です。

 

よくあるのが、「私が若いころは○○だったのになぁ...」というセリフです。

過去の記憶というのは、どこか綺麗に美化されてしまう印象があります。平凡な学生時代でも、時が経つと煌びやかな青春となります。

 

同じように、よく考えるとただの無駄な出来事すらも「意味があったんだ!」とハッピー変換してしまうことで、「何事も経験」という結論にたどり着くのだと考察します。

 

シンプルに経験から功績を作った人

 

三つ目として、シンプルに「経験」というものの積み重ねで成功体験をした場合が考えられます。

 

壁にぶつかった時や悩んだ時に、過去の経験を活用して乗り越えることができた等の体験があったことも考えられますよね。

 

まぁ、この類の人は「何事も」と一括りにしないのでは?とも思いますけどね。

 

「経験すること」で得られるメリット

 

①対処法として活用可能

 

先ほどちょっと触れましたが、困った時なんかに過去の経験が活きることは当然あります。誰しも、大小問わなければ「経験が役に立った」ことはあるはずです。

 

何も、直接的な経験だけではありません。

書籍やネット上にはたくさん情報が溢れています。本には先人の知恵や知識だって豊富に存在します。ネットだって、個人の体験談など探せば見つかります。

 

このような間接的なものも経験と言えると個人的には思います。

 

②行動することに意味がある

 

ウジウジ考えるだけでは意味がない、とよく言われますよね。

 

ああした方が...こうした方が...と考えるだけでは何一つ前に進みません。「やろうと思ってるんですけどね~」と口では何とでも言えます。

 

そう考えると、行動に移して経験することで何かしらのフィードバックが得られ、価値ある時間とすることができます。

 

YouTube興味あるなぁ~」「ブログやってみたいけど自分に文章書く能力あるかわかんないし」と言ってブレーキをかけるくらいなら、経験してしまうのも手だと思います。

 


 

そもそも、「失敗」なんて存在しないと考えることもできます。あるのは「成功」か「学び」だけと捉えれば、経験するに越したことはないと言えます。

 

「何事も」の罠

 

ここまで読めば、経験主義(?)の人の良し悪しはともかく、経験すること自体は良いことに感じられるでしょう。

 

しかし、ここに一つ大きな罠が存在します。

 

何でもかんでも経験することが必要なのか?という点がスルーされていることです。

 

よくあるのが、パチンコやタバコ、女遊びなどです。

 

絶対経験しないと損というわけでもないし、自分には絶対必要ないと思っていることでも「経験が大事」という名目で強引に誘ってくる人が世の中には意外といます。

 

僕の周りにも、悪気はないもののこのように言ってくる先輩・上司が少なくとも2~3人は居ます。

 

結論:個人の意思こそ最終決定権

 

例としてパチンコやタバコを出したのは、人によっては死ぬほど嫌がるものだからです。

 

そんな好き・嫌いが分かれるものにおいても「経験 is No.1」理論が果たして本当に通用するものなのでしょうか?

 

これが通用するなら、麻薬もいたずらによる補導も経験だから、という理由でアリになります。極論中の極論ですけどね。

 

「経験として一回行っておくのもアリだと思うよ」・・・・アリって、具体的にどう今後の人生に役立つのでしょうか?何がどう「アリ」なのでしょうか?

 

結局最後は、本人の意思に委ねられると思います。本人がやりたくないならやらない。当然の理屈なんですけどね。

 

まとめ

 

「何事も経験だ」は、ハッキリ言って間違いだと思います。

 

正しくは、「経験は大事」

あくまで、白黒はっきり主張できるものではありません。物事は思ったより複雑で、二分できないことがたくさんあります。よって、主張するとしてもこの程度。

 

そして、経験が大事だと謳って本人の意思に反することに強引に誘うのも大きな間違いです。

 

こういう誘い方をする人に限って、「人生、無駄なことなんて一つもない」的なことを言ってきますが、実際あります。だって、無駄って人の感じ方次第ですから。

 

つまらないことに「何事も経験だよ!」と誘われたら、こう言ってやりましょう。

 

「その経験から何が得られたんですか?」と。

 

果たしてどのくらい深みのある答えが返ってくるのでしょうか。

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