こたつウサギの寝言

思ったこと・感じたことをつらつらと

「何事も経験だ」は真実か?

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どうも、ダービーです。

 

誰しも一度は「人生、何事も経験だ」という一言を耳にしたことがあるのではないでしょうか?

 

そのほとんどは目上の人による発言でしょう。

 

ここで一つモヤっとポイントが。

果たして本当に「何事も経験が大事」なのだろうか?という点です。

 

疑問に思った方もいらっしゃるはずです。ネット上でも、【何事も経験 嫌い】という関連キーワードが出てくるほどです。

 

先に言っておきますが、僕は決して否定派ではありません。

むしろ、経験は大事だと思います。ただ「何事も」という部分が気になるだけです。

 

今回は、「何事も経験だ」と言い張る人の心理面考察、並びにこの主張が本当に正しいのかについて考えていきます。

 

※例の如く、個人的主張に留まります。よって異論は大歓迎です。

 

 

「何事も経験だ」と言う人を考察

結果論

 

一つ目の原因は、ズバリ結果論です。

 

苦労・挫折・苦痛などを経験した末、結果的に好転したからそう言えるのだと推測します。

 

「今となってはあれも良い経験だったなあ...」と前向きに振り返られるのは、結果良い方向に働いたからです。

 

ここでバッドエンドだった場合、誰しも自分の経験を肯定できないはずです。目をつぶりたい嫌な過去として刻まれます。

 

人間、ポジティブな面もネガティブな面も持ち合わせていることがほとんどです。「良い思い出」とできない場合だってありますよね。

 

意味があると思いたいだけ

 

二つ目の原因として考えられるのは、過去の記憶の美化です。

 

よくあるのが、「私が若いころは○○だったのになぁ...」というセリフです。

過去の記憶というのは、どこか綺麗に美化されてしまう印象があります。平凡な学生時代でも、時が経つと煌びやかな青春となります。

 

同じように、よく考えるとただの無駄な出来事すらも「意味があったんだ!」とハッピー変換してしまうことで、「何事も経験」という結論にたどり着くのだと考察します。

 

シンプルに経験から功績を作った人

 

三つ目として、シンプルに「経験」というものの積み重ねで成功体験をした場合が考えられます。

 

壁にぶつかった時や悩んだ時に、過去の経験を活用して乗り越えることができた等の体験があったことも考えられますよね。

 

まぁ、この類の人は「何事も」と一括りにしないのでは?とも思いますけどね。

 

「経験すること」で得られるメリット

 

①対処法として活用可能

 

先ほどちょっと触れましたが、困った時なんかに過去の経験が活きることは当然あります。誰しも、大小問わなければ「経験が役に立った」ことはあるはずです。

 

何も、直接的な経験だけではありません。

書籍やネット上にはたくさん情報が溢れています。本には先人の知恵や知識だって豊富に存在します。ネットだって、個人の体験談など探せば見つかります。

 

このような間接的なものも経験と言えると個人的には思います。

 

②行動することに意味がある

 

ウジウジ考えるだけでは意味がない、とよく言われますよね。

 

ああした方が...こうした方が...と考えるだけでは何一つ前に進みません。「やろうと思ってるんですけどね~」と口では何とでも言えます。

 

そう考えると、行動に移して経験することで何かしらのフィードバックが得られ、価値ある時間とすることができます。

 

YouTube興味あるなぁ~」「ブログやってみたいけど自分に文章書く能力あるかわかんないし」と言ってブレーキをかけるくらいなら、経験してしまうのも手だと思います。

 


 

そもそも、「失敗」なんて存在しないと考えることもできます。あるのは「成功」か「学び」だけと捉えれば、経験するに越したことはないと言えます。

 

「何事も」の罠

 

ここまで読めば、経験主義(?)の人の良し悪しはともかく、経験すること自体は良いことに感じられるでしょう。

 

しかし、ここに一つ大きな罠が存在します。

 

何でもかんでも経験することが必要なのか?という点がスルーされていることです。

 

よくあるのが、パチンコやタバコ、女遊びなどです。

 

絶対経験しないと損というわけでもないし、自分には絶対必要ないと思っていることでも「経験が大事」という名目で強引に誘ってくる人が世の中には意外といます。

 

僕の周りにも、悪気はないもののこのように言ってくる先輩・上司が少なくとも2~3人は居ます。

 

結論:個人の意思こそ最終決定権

 

例としてパチンコやタバコを出したのは、人によっては死ぬほど嫌がるものだからです。

 

そんな好き・嫌いが分かれるものにおいても「経験 is No.1」理論が果たして本当に通用するものなのでしょうか?

 

これが通用するなら、麻薬もいたずらによる補導も経験だから、という理由でアリになります。極論中の極論ですけどね。

 

「経験として一回行っておくのもアリだと思うよ」・・・・アリって、具体的にどう今後の人生に役立つのでしょうか?何がどう「アリ」なのでしょうか?

 

結局最後は、本人の意思に委ねられると思います。本人がやりたくないならやらない。当然の理屈なんですけどね。

 

まとめ

 

「何事も経験だ」は、ハッキリ言って間違いだと思います。

 

正しくは、「経験は大事」

あくまで、白黒はっきり主張できるものではありません。物事は思ったより複雑で、二分できないことがたくさんあります。よって、主張するとしてもこの程度。

 

そして、経験が大事だと謳って本人の意思に反することに強引に誘うのも大きな間違いです。

 

こういう誘い方をする人に限って、「人生、無駄なことなんて一つもない」的なことを言ってきますが、実際あります。だって、無駄って人の感じ方次第ですから。

 

つまらないことに「何事も経験だよ!」と誘われたら、こう言ってやりましょう。

 

「その経験から何が得られたんですか?」と。

 

果たしてどのくらい深みのある答えが返ってくるのでしょうか。

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「断る力」をつけるために最も必要なこととは何か?

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どうも、飲み会不参加率80%のダービーです。

 

日本人は、よく「自分がない」「自己主張が弱い」「流されやすい」人が多いと言われます。

 

実際、僕の周りの友達も、予定が空いていれば飲み会・遊びにはほぼ確実に参加しています。一度は「え~、遠慮しとく~」と言っていた人も、最後には結局参加。

 

よく、嫌われたらどうしよう‥‥という考えが原因で断りきれないのでは?という話は聞きますよね。しかし、果たして本当にそうでしょうか?

 

今回は、「断る」ために嫌われる勇気より必要なことというテーマで、体験談をもとに持論を展開していきます。

 

 

断る力をつけるために必要なこと

はい、時間を取らせるのも申し訳ないので、さっそく結論です。

 

ズバリ、目的をしっかり持つことです。

目的とは、目標・すべきことなどをひっくるめてここでは表現しています。

 

つまり、断らざるを得ない理由をハッキリさせよう、ということです。

 

やるべきことが満載で大きな夢もあり、そこに向けて必死に努力している人は、対して重要でもない飲み会になんて参加しません。即お断りです。

 

例を挙げます。

・家族の葬式に出るために会社を休む

・外出するタイミングで来たNHKの勧誘を一蹴

・試験前日の受験生が風呂掃除を断る

 

要は、「それ、今じゃねぇ!」と感じると、人は即座に断れるということです。

 

優先順位がしっかり決まっていれば、断る・断らないでわざわざ悩まないのです。まして、嫌われるかなんてどうでもよくなります。

 

では逆に、どんな人が誘いに乗りやすいのか?

毎日テレビをだらだら見て、特にやることもなくスマホをいじるヒマな人です。

 

皆さんの周りにも1人はいるはずです。「家にいてもやることないよね~」という人。

 

特にやることもなく暇を持て余しているからこそ、「断らない」という選択肢がチラつくのです。

 

嫌われる勇気を持つ方が難しい

他人から嫌われる勇気を持つことは、非常に難しいことです。

 

日本は特に、協調性を重んじる人が多いことから、周りからどう思われるかを気にする人が多いと考えられます。

 

加えて、HSPである僕のように、他人の気持ちを敏感にキャッチする人も一定数います。断ると相手が不快な気持ちになるのが手に取るように分かるので、YESと言った方が楽と感じる人も多いでしょう。

 

「嫌われたっていい!」と口ではいくらでも言えますが、実際ノーダメージまで持っていくのは至難の業です。

 

であるならば、断るのに勇気すら出す必要がない方法のほうが、ハードルはグンと下がります。

 

僕も断れない人だった

こんなことを言っている僕も、元々全く断れない人間でした。

 

大学2年までは、誘われれば多少行きたくなくてもYESと返事していました。

 

そもそもあんまり好きじゃない友人と常に行動を共にしていたことから、ある日我慢の限界がきて関係を完全に絶ちました。

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 大学生活の後半は、完全に1人行動をマスターしていたため、ストレスフリーに。

 

1人の時間を過ごすと、やりたいこと・興味があることがだんだん浮かんできて、読書やゲーム・ブログなどで充実した毎日となりました。

 

友達がゼロになったわけではなかったので、度々飲み会にも誘われましたが、優先順位が低いな、と感じた場合は容赦なく「行かない」と断っていました

 

そこに「嫌われないかな‥‥」という不安は一切ありません。自分にとってもっと大事なことがあったからです。

 

まとめ

今回は、「断る力」をつけるために一番大切なことをテーマに考えました。

 

嫌われる勇気をもつより、断らざるを得ない理由を見つける方が簡単だと僕は思います。

 

第一、勇気をもって断ったところで、その浮いた時間で何をするか決まっていなかったら、断るメリットは時間とお金の節約のみです

 

その時間をどう使うかまで考えられる、という点でも、明確な目的をもつことが最善策ではないかな、と僕は考えます。

 

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「シングルハラスメント」を考える。

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どうも、ダービーです。

 

今や、セクハラ・パワハラモラハラなど、数々のハラスメントが周知されるようになってきました。

 

職場などでは、通称パワハラ防止法が2020年6月施行予定となっています(中小企業は2022年~)。

 

そんな数あるハラスメントの中、無自覚に行われてしまう可能性があるのが、シングルハラスメントです。

 

今回は、そこまで浸透していないシングルハラスメントについて考えていきます。

 

 

シングルハラスメントとは

シングルハラスメントとは、独身でいることに対し精神的な苦痛を与える行為を指します。

 

もっと簡単に表現すると、人の結婚観や人生観を否定し、結婚=当たり前という価値観を押しつけてしまう行為のことをいいます。

 

セクハラやパワハラと違い、自分が悪いという自覚が少ないというのが特徴であるといえます。

 

知らないうちに自分もやっていた、なんてこともありますし、よかれと思っていったセリフが該当してしまう場合もあるので、注意が必要ですね。

 

シングルハラスメントをしてしまう要因

①結婚=して当たり前のものという価値観

 

すでに少し触れましたが、結婚をするのが当たり前だという凝り固まった価値観をもっているということが挙げられます。

 

もちろん、時代によってはそれがまかり通ったかもしれません。が、時代の流れは早いもの。昔のノーマルが、今のアブノーマルであることを忘れてはいけません。

 

また時代だけでなく、未だ世の中全体に、結婚するのが当たり前という風潮が蔓延っています

 

これは、「結婚が最大の幸せである」という、どこから湧いて出てきたか分からない理屈が根底にあります。

 

これに侵されると、時代の影響を受けた中高年だけでなく、若者でも「結婚が人生最大の幸せ!」という価値観を持ってしまう可能性があります。

 

②独り=寂しいという固定観念

 

結婚=幸せという風潮に加え、独り身=寂しいという風潮もシングルハラスメントが起きる1つの要因であると思われます。

 

大前提として、寂しい・寂しくないは本人の感じ方次第です。

 

人によって感じ方が違うであろうことに対し、「絶対にこうだ」という押しつけは見直さなければなりません。

 

独りでも楽しく暮らせる人も大勢います

 

にも関わらず、絶対に寂しいと決めつけてくる人というのは、おそらくその人自身が独りだと寂しいだけです。言われたことがある人は、そんな可哀想な人を哀れんで合掌でもしておきましょう。チーン

 

③自身が結婚したことを後悔している

 

シングルハラスメントをしてくる人が、なにも全員結婚=最高と思っているとは限りません。

 

中には、結婚したけど後悔しており、独身である人をうらやんでいる可能性もあります(あくまで推測)。

 

人は皆、ないものねだりをしてしまうものです。自分が受けた苦しみは他人にも感じてもらいたいと考える人もいます。

 

彼氏・彼女問題にも拡大

結婚という問題は、主に社会人である20~30代中心に起きます。が、それ以下の世代でも、シングルハラスメントに似た状況というのは起こりえます。

 

それが「彼氏(彼女)いないの?」というもの。

 

特に高校~大学は、"恋愛に生きている人" が一定数いるほど、青春真っ只中。

 

独り身でいることが異常という見方をする人・「彼女いない歴=年齢」に身構える人も、経験上少なくありません。

 

これも、本人の自由です。

彼女いらないという人だって存在しますし、その価値観を否定される筋合いはありません。

 

逆に、欲しいけどできないという人に対し、「君は◯◯だからできないんだよ」と要らぬアドバイスをするのもお門違い。

 

僕自身、一応高校・大学と各1人ずつ彼女がいましたが、今現在特に欲してはいません。結婚に関しても、してもしなくてもいいくらいの価値観です。

 

何が正解かなんてどこにもありません。

 

回避策

シングルハラスメント全般に言えることですが、何を言われても半分聞いてないくらいのスルーが最善策です。

 

どうせ実害を伴わない、ただの嫌味・お節介に留まることが多いものです。

 

であるならば、そんな言葉1つでいちいち落ち込むのも追い込まれるのも無駄というもの。

 

「そうですねぇ~ハハハー^_^」と相槌だけしてノーダメージ。これが理想です。「うぜぇ!」と思うことすらもったいないことこの上なし。

 

は?こんな方法?と思うかもしれませんが、セクハラやパワハラと違い、別にそこまでゴリゴリに予防線を張る必要すらありません。

 

「幸せ」に定義なんてものはない

なんか綺麗事っぽいこと言ってますが、本心です。

 

よく、「幸せとはなにか」みたいな議論がありますよね。ですが、そもそも「こういうのを幸せというのだ」ということすら必要ないと考えます。

 

質素ながら平和に暮らせればいい、という人もいるでしょうし、有名になって何かデカいことを成し遂げたいという人もいるはずです。

 

ですから、結婚=最高の幸せという理屈は、もはやただのツッコミ待ち発言と言えます。もし口にしているのであれば、今すぐ改めましょう。バカにされてしまいますよ(僕みたいな人に)。

 

まとめ

今回は、シングルハラスメントについて考えました。

 

まとめると、結婚は当たり前でもなければ人類共通の幸せでもないということです。

 

まして、それを他人に押しつける行為は、愚の骨頂。

 

結婚問題だけでなく、どんなことにおいても「決めつける人」にならないように気をつける必要がありますね。僕も省みることにします。

 

しつこく「結婚しないの?」と言われ続けた時には言い返してあげましょう。

 

「え?君は結婚でしか幸せを感じられないの?かわいそー」と。

 

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ユニクロ「エアリズムマスク」の販売開始で懸念されること

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どうも、ダービーです。

 

ついに、ユニクロが夏を見据えて「エアリズムマスク」を販売開始しましたね。

 

どうやら3層構造になっており、通気性もありながらしっかりフィルター機能を持っているみたいです。さすがユニクロ、品質もバッチリですね。

 

気になる価格は、1パック3枚入りで999円!う~ん、気になるねぇ。

 

店舗でもオンラインでも販売しているみたいですが、オンラインは初日完売!そもそもアクセスすらできない状況でしたしね。

 

現状

オンラインはその名の通り、実店舗ではなくネット上での購入になるため、若い世代は問題ないものの、中高年層にはハードルが高いものです。

 

するとどうなるか。店舗に行って買うのです。しかも、若年層でも店舗購入を狙っている人も大勢。

 

結果、開店前から長蛇の列。整理券を配るなどの対応がされているようです。

 

懸念ポイント

オンラインと同様に、多くの人が店舗での購入を狙っています。そして、行列。

 

緊急事態宣言が解除されたとはいえ、外出自粛ムードが完全に終わったわけではありません。

 

それなのに、感染防止のためのマスクを買いに行列に並ぶとはいかがなものでしょうか?

 

この手の人たちを完全否定しているわけではありませんし、列とはいってもソーシャルディスタンスが保たれているとは思いますが、よく考えると矛盾ではあります

 

感染しないためのマスクを、感染リスクを重く背負ってまで買いに行く心理が僕には分かりません。

 

よほどマスク不足で困っていない限り、発売開始直後を狙う必要はないのではないか、と思います。

 

焦らなくてもいずれ買える!?

ユニクロとしては、今後毎週50万パックを継続的に生産する予定とのことらしいです。

 

これが本当だとすると、何も「今すぐ買わなきゃ!」と急ぐ必要はないと思われます。

 

むしろ、混雑が予想されるであろう発売開始直後をあえてスルーし、より低感染リスクで購入することができるかもしれません。

 

意識すべきはやっぱり外出自粛

1年中外出自粛している僕が言うと説得力に欠けるでしょうが、やっぱり大事なのは外出自粛です

 

仕事ややむを得ない事情がない限り、極力自宅で過ごすことは今後も大事になってくると思います。

 

もちろん、たまに外食やおでかけに行くのも良いことでしょう。ストレスが溜まってしまうより遙かにマシです。

 

しかし「今年の夏も謳歌しちゃうぜ~!」的な考えから、そのために夏用のマスクを、と考えているのであれば、見直すことが必要かもしれませんね。

 

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赤の他人の不倫で感情的になる「哀れな人」たち

どうも、ダービーです。

 

現在(2020.6)、コロナウイルスを除いて最も騒がれているニュース。それは、不倫問題(わざわざ誰とは言わないが)。

 

芸能人の不倫・浮気問題は、いまや定期的に報道される日常茶飯事と言えます。

 

この記事を読んでいる方は、いちいち感情的になって人を口撃するような人ではないとは思いますが、

 

今回は、毎度騒がれる他人の不倫・浮気問題について感情的になる人種について一度考えていきます。

 

SNSを中心に無駄に大きな声をあげている人について、個人的な感想中心に展開していくつもりですので、悪しからず。異論も当然認めます。

 

 

自分に関係ないことで騒ぐことの無意味さ

 

僕が声を大にして言いたいことです。

自分に関係もないことで騒ぐのは無意味である、ということです。

 

誰がなんと言おうと、親族などでない限り、芸能人の不祥事は自分と関係ありません。

 

そんなことにわざわざ時間を割くこと自体、ヒマであるか現実逃避しているかのどちらかです。

 

ヒマであるというのは文字通り、暇を持てあましている何よりの証拠。仕事や家事・育児・部活・趣味など、何かしらに忙しい or 熱中している人は、会ったこともない人の出来事に首なんてつっこみません。

 

また、自分の置かれている状況やすべきこと・課題など、他にやるべきことがあるけど逃げている人、という可能性もあるでしょう。借金をかかえていたり、離婚の危機に立たされていたり‥‥。「今、他人の不倫を気にしている場合か?」という立場の人もいることでしょう(あくまで考察)。

 

「感情的」の定義

 

ここで一度、「感情的」とは何かという認識を確認しておきます。

 

一般的な意味ではなく、

ここでいう「感情的」とは過激な発言・誹謗中傷をすること「嫌い!顔も見たくない!」と感情を強く動かされていること、を指します。

 

何を隠そう、僕の母もその1人。

不倫報道の後、「この俳優の顔見ただけでムカつくから、もうドラマ見ない!」と、全く自分に関係ないことに完全に振り回されています。

 

ハッキリ言って、知ったこっちゃない報道1つでいちいちイライラしたり行動を変えたりするのは、ただの無駄疲れです。

 

逆になぜ、赤の他人についてそこまでアツくなれるのでしょうか?

 

メディアに焚きつけられるな

 

テレビなどの報道をすべて絶て、とは言いません。ただ、見る側の受け取り方も試されています

 

特にテレビなんかは、しつこいくらいに過剰に報道します。まだ深掘りする!?ってところまで議論を重ねます(個人的印象)。

 

僕はテレビ自体持っていないので、今回の件も詳しいことは知らなかったのですが、ふとガソリンスタンドでテレビを見たとき、例の如く無意味な議論を繰り広げているじゃありませんか。

 

「なぜ◯◯さんは、キレイな奥様がいるのに不倫をしてしまったのでしょうか?」といった具合に。

 

個人的な感想ですが、知らないし知りたくもないしつまらないしどうでもいい、というのが本音です。他人にそこまで興味がないのも影響しているとは思いますが。

 

結論、メディアの報道1つで過剰に反応し・理性を失いかけ・(人によっては)誹謗中傷コメントをするくらいの人なら、テレビを見るのを止めておくことをおすすめします。

 

「正義感」はしばしば暴走する

 

これは主にSNSなどで、必要以上に非難・誹謗中傷する人に当てはまることですが、「正義感」は時に暴走します。

 

「不倫は悪!」「悪は懲らしめろ!」という、いきすぎた正義感が牙をむき、言葉の暴力でタコ殴りする現象がしばしば見受けられます

 

この類の人に言いたいのは、裁くのは君じゃないということです。

 

法に触れたとしたら、当然法で裁かれますし、不倫に関してはそれすら犯していません。ただの家族内の問題です(+事務所やスポンサー内)。

 

「◯◯が不倫だってさ~」くらいの話題にするのは構わないと思いますが、我こそ正義の執行人なり!的な言動はキングオブ勘違いと言えるでしょう。

 

自分の身の程を知ることと、全体を見渡した上で自分の立ち位置を理解することが必要を思われます。

 

まとめ

 

前から薄々感じていた違和感が、今回の件で明確なものとなりました。

 

「悪」は、撲滅しようにもできない厄介なものです。が、それと同じもしくはそれ以上に厄介なのが、「正しいと確信している過激派」です。後ろめたさや容赦がないため、留まるところを知りません。

 

冷静になって考えれば、自分に関係ないことであることは明確です。

 

自分の問題と他人の問題を切り離し、余計なことに首をつっこまない「スルーする技術」を持つことが求められるのではないでしょうか

 

なーんて、散々首をつっこんでる矛盾男の寝言でした。ちゃんちゃん。

 

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【虚礼】お土産の授受は当たり前ではありません。

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どうも、いつでも外出自粛中のダービーです。

 

突然ですが、あなたは旅行・出張に行った際、仲間や友人にお土産を買っていきますか? 誰かが遠出した時にも、お土産を期待しますか?

 

僕個人としては、ハッキリ言って、要りませんしあげません。

 

今回は、誰もがあって当然と思い込みがちなお土産の授受は当たり前じゃないよというテーマを考えていきます。

 

 

お土産は "虚礼" にすぎない

 

まず大前提として、お土産をあげる行為は虚礼にすぎません。

 

「虚礼」とは、形式だけの気持ちが入っていない礼儀のことを言います。要は、表面上の取り繕いということです。

 

これには、「いや、真心入ってるし!」という反論もあることでしょう。

 

確かに、親しい友人などにあげるお土産は、形式ではなく本人の厚意によるものです。

 

ここでいう「お土産」とは、職場・なんらかの組織内における「買わなきゃ」という強迫観念に基づくものに限定して展開していきます。ご注意を。

 

虚礼としての問題点

①終わりがない

 

今や、年賀状・バレンタイン・お歳暮・お中元などが虚礼だと指摘されています。これらに共通するのが、

 

もらった側があげる側にまわる可能性が高いということです。

 

もらったから自分もお返しをするというサイクルが出来上っているので、エンドレスで続くいわゆる "当たり前" として完成してしまうわけです。

 

もらったからあげる、あげたからもらえると思い込む、という連鎖により、構造上良くも悪くも定着しやすいものになっています。

 

②あげたからもらえて当然!という考え

 

もちろん全員ではありませんが、どこかに出かけたという情報を聞きつけては「お土産ないの?」と笑顔で聞いてくる人種が一定数います。

 

しかも、そういう人に限って毎回しっかりお土産を買ってくるんですよね。

 

さらなる上位互換は、行く前に「お土産よろしく!」と気安く言ってくる人。まさに、先手を打たれた感満載の一言。

 

釘を刺しておきますが、あげたからもらえて当然という考えは、都合の良い勝手な解釈です。頭の中お花畑とまでは言いませんが、タンポポの咲いた原っぱくらいのファンタジーさは持っています。

 

③周りの目

 

①を経て、やがて慣習となったお土産購入は、もはやその組織内では当たり前の存在に。

 

そうなった時に気になるのは、買ってこなかった時の周りの目

 

特に、周りの目が気になって仕方がないタイプの人の場合、この苦痛に耐えられるはずもなく、強迫観念の下に内心では嫌でも買ってしまいます

 

気にしすぎな人というのは、実際に周りがどう思っているのかという事実ではなく、「こう思っているのではないか」という勝手なネガティブ思考で行動する傾向にあるように感じます。

 

よって、実際に周りが「当然」と思っているかどうかに関わらず、気になるものは気になるのです。これでは、余計に慣習として浸透してしまうことでしょう。

 

お土産に対する僕の対応

 

こんな記事を書いている時点で分かる通り、僕はお土産を買うのが嫌いです。

 

お金がかかる上に大した効力があるわけでもありません。おまけに移動の際荷物が増えるだけ。

 

よって、僕はお土産というものを「個人にしか渡さない」というスタイルを貫いています。しかも、ごく稀(だいたい買わないことが多いです)。

 

考えすぎる性格なので、全体に向けるとなると、色んなことを考えて選ぶ必要が出てきます。

 

ですから、大勢の前で「◯◯に行く」などと公言することを避け、理想は誰にも買わないこととしています。

 

まとめ

 

今回は、お土産という厄介な虚礼について考え持論を展開しました。

 

が、これはあくまで僕個人の意見です。お土産自体もらうと嬉しいものですし、あげたい人の気持ちも分かります。

 

ただ、「なんとなく買っていった方がいいかな?」くらいの感情で買わなくてもいいのではないか、と感じます。

 

中には無理して買っている人もいることでしょうし、この際、暗黙のルールのようになってしまっていることについて考え直してみるのもいいのではないでしょうか?

 

以上、そもそもあまり外出しないダービーでした(お土産買う機会自体少ないわ)。

 

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One For All(みんなのために)を意識する前に必要なこと

 

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どうも、協調性皆無のダービーです。

 

これを読んでいる誰もが一度は聞いたことがあるでしょう、One For All , All For One という言葉。意味は、1人はみんなのために、みんなは1人のために」

 

特にチームスポーツなんかやっていた人はよく耳にするのではないでしょうか?

 

僕は生まれてこの方、個人スポーツしかやったことがありませんが、それでも一チームとして、この言葉を散々聞かされてきました。

 

なぜ、"散々" という表現をするのかというと、この言葉にある疑問を感じていたからです。

 

今回はこの中の、One For All(みんなのために)を意識する前に必要なことについて考えていこうと思います。

 

 

問題点:他責思考に陥りやすい

 

あくまで、僕個人の考えという前提で捉えてください。

 

「みんなのために」に意識が向きすぎると、失敗・敗北した時に他人のせいにする人が出てきやすくなると考えます。

 

「みんなのために自分は全力を尽くしたけど、周りのミスが‥‥」

 

という人の出現確率が上がると予想します。

 

特に、本人は成功 or ミスなしの場合、こう考える可能性が高まります。「自分は良かったのに‥‥」という思考に陥り、自分の反省点が見えなくなることも。

 

まとめると、One For All をしたのに、All For One は得られなかったと不満を抱く人が一定数いるのではないか、ということです。

 

そして、その感覚を助長するのがOne For All(みんなのために)なのではないかと考えます。

 

しつこく言って起きますが、これはあくまで僕の予想であり、完璧な正解とは思ってません。

 

原因:他人に過度に介入しすぎている

 

他人のミスに不満を抱えやすい人には、ひとつ原因があると考えます。

 

熱心でやる気がある人に多いと思いますが、真剣になりすぎるあまり、他人のことに首を突っ込みすぎることです。

 

すごく分かりやすく言うと、ちびまる子ちゃんに登場する前田さんです。

 

掃除をしない男子に対し怒り狂い、終いには泣き出す始末。他人を思い通りに変えられるはずもなく、余計なことにまで注力しようとする姿は、まさにお手本です。

 

さらに、僕がやっていた陸上競技(4×100mリレー)を例に説明します。

チーム種目ではありますが、それぞれ役割が決まっており、1走~4走は当然別々の人が走ります。

 

自分に与えられたのは一区間のみ。それ以外の出来・不出来はそもそも自分の課題ではありません

 

たとえ自分が良い走りをしても、他の区間バトンパスをミスする可能性も十分あります。

 

それをさも自分のことのように怒り、悲しみ、反省するのはハッキリ言って無駄オブ無駄です。

 

もちろんチームで1つですから、喜び・悲しみなど共有することもあると思います。が、あまりにも感情移入しすぎると、今度は周りのメンバーを傷つけることに繋がります。

 

このように、みんなのために尽くしている感覚が強い人ほど、期待通りにいかなかった時に感情的になりやすいと感じます。

 

「みんなのために」の前に必要なこと

 

ズバリ、自分の課題に意識を向けて努力するしかありません。

 

自分には、他人のパフォーマンスを変えられる力はありません。

 

勉強しろ!と言われた学生時代、その親の一言で勉強するようになったかと言われれば、大半の方はNOでしょう。

 

まずは自分で変えられる範囲に意識を向け、それ以外は無視

 

みんなのために頑張る、という心持ち以前に、自分のために頑張るという意識を持つことで、仲間の失敗に過度に腹を立てることも少なくなるのではないでしょうか。

 

まとめ

 

今回は、One For All(みんなのために)という言葉とその背景について持論を展開しました。

 

よく「課題の分離」という言葉を耳にするように、自分の変えられる範囲と変えられない範囲をしっかり区別する必要があると考えます。

 

でないと、いちいち怒り・悲しみ・責め・不満を抱くことになります。

 

チーム精神自体は良いことですが、何事も度が過ぎるとマイナスに働くということは、頭の片隅に置いておいて損はないと思います。

 

以上、どうでもいいことに過剰に首を突っ込むダービーでした。(ブーメラン)

 

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