「あなたのためを思って」は口に出したら終わり
どうも、ダービーです。
思いやりや気遣いができる人って素敵ですよね。世の中それすらできない人もいるわけですから。
ですが、そんな優しい人の中にも一定数理解しがたい人種がいらっしゃいます。「あなたのためを思って言っているのに‥‥」と言う人。この言葉、心の中で思うぶんにはいいのですが、口に出す人もいます。
分かりますよ、相手のためを思っての言動なのは。重々承知です。でも、それを口に出した時点でアウトな気がします。
ということで、今回は「あなたのためを思って」は口に出したら終わりというテーマで話していこうと思います。
思いやり・気遣いはアピールするものではない
思いやり・気遣いは誰のためにするものでしょうか?そうです、相手のためです。
ということは、その気遣いそのものの存在をアピールする必要は全くありません。相手に知らせる必要もありません。
自分のした気遣いに気づいてほしい・認めてほしい・褒めてほしいという感情があるのであれば、それは相手のためではなく自分のためのエゴに過ぎません。皮肉なことに「あなたのため」という言葉との矛盾を露呈することになります。
誰だって、アピールされたら嫌なはずです。
「ねぇ、気づいた?今俺お前のためにドア開けてあげたんだよ?」とか言われたら嫌でしょ?恋愛関係じゃなく友達だとしても最悪です。
もちろん、その気持ちはありがたいです。ただ、その行為に対するお礼など何らかのアクションを強制的に求められるのは、どう考えても違います。その一言で感謝の気持ちがサーッと消え失せることでしょう。
ですから、たとえ相手がその気遣いに気づかなくても、思っていたのと違った反応でも、それに対して不満をタレるのは大きな間違いです。別に、ひた隠しにしろとは言ってません。「見て見て!」は違う、という話です。
また、アピールではないけど口に出す場合もあります。
感情的になって怒った後、それを正当化させるために「あなたのため」と言うパターンです。こちらはもっとタチが悪く、良心に基づいてはいません。ただの正当化です。そしてこの場合、自分のためを思っていないことくらいすぐ分かります。
聞いてますか?店長(バイト先)。あなたのことですよ。(サイコパス風)
「あなたのため」ではないことがバレバレの場合、信用を落とすことに繋がります。
「思い」と「現実」は違う
思いやり・気遣いで相手のためにやったことが、思っていたような結果に繋がらない時が誰しも一度はあるでしょう。
相手が気づかない・お礼を言わない・嬉しそうにしない・アドバイスを聞き入れない・従わない‥‥。
こうしたら喜んでくれるだろうという「思い」は、必ずしも報われるとは限りません。「思い」と「現実」は一致しません。
つまり何が言いたいかというと、「あなたのため」という気持ちがあるかどうかなんて、相手からしたら知ったこっちゃないということです。
ですから、「あなたのために言ったのに‥‥」と言われても、「知らねぇよ」というのが本音です。
自分のために何かしてくれたことはありがたいものの、その行為が必ずしも良い方向に作用するとは限りません。言い方は悪いですが、むしろ余計なお世話かもしれません。
そして、「余計なお世話」を「アピールしてくる人」=お節介な人となるわけです。お節介がマイナスイメージの言葉として使われる理由は明確です。
まとめ
簡潔にまとめると、「あなたのためを思って」いたかどうかは直接関係ないということです。
気遣いからくる良心的な行為だから、必ずウェルカムに受け入れなきゃいけないなんてルールはどこにもありません。受け入れるかどうかは相手次第。
それに対して「私の良心を踏みにじって!」と怒るのはお門違い。それはつまり、相手ではなく自分のためである何よりの証拠です。
思いやりは、必ず受け入れ感謝しなくてはならないというプレッシャーを与えた時点でハラスメント化不可避でしょう。思いやりハラスメント(おもハラ)とでも言いましょうか。
あなたは「あなたのためを思って」とわざわざ言ってくる人、どう思いますか?