こたつウサギの寝言

思ったこと・感じたことをつらつらと

「若いくせに生意気」←問題は"誰が"言ったかではなく"何を"言ったか

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どうも、ダービーです。

 

僕はかなり内向的な性格です。そのため、どんな些細なことでも深めに考える癖があり、理由や原因などの所在は明らかにしないと気が済まないタイプの人間です。面倒くさいでしょ?自覚してます。

 

こんな性格であるため、時々壁にぶつかることがあります。それは、タイトルにあるように「若いくせに生意気」「後輩のくせに偉そうに」と主張する、いわゆる話し合いの出来ない人種の登場です。

 

このタイプの人は基本的に何を言っても無駄です。だって、話の内容そのものではなく"若いくせに"、"後輩のくせに"と誰が言ったかのみでその価値を判断しているから。はじめから受け入れる気が全くないので、何を言っても無駄だということです。

 

ただ、僕は何度も言うように物事を明らかにしないと気が済まないというタチの悪い性格をしています。無駄だと分かりながらも必死に伝える努力をするのですが、結果は全て負け。だってむこうは土俵にすら立っていないのだから。逃げるが勝ちってことですね。

 

「男なんだから言い訳するな!」←は?

 

約10年前。当時小学生だった僕が参加した、林間学校での事です。

 

各クラスに担任がつくのですが、僕のクラスの担任がまさにこの話し合いの出来ないタイプでした。

 

ある時、炊事の最中何らかのミスが起き他のクラスに大きな遅れをとる事態が起きました(どんなミスだったかは忘れたけど)。ただ、1つ覚えているのは僕はそのミスに関与していないということです。役割がそもそも違うから。何なら誰が原因なのかも検討はついていました。

 

しかし、そんな事実とは裏腹に担任が叱ったのは僕1人。理由はたぶんその時僕が近くに居たから。反省しろと言われても自分の行動に反省する点があまり見つかりません。

 

確かにグループ内のミスですから、当事者意識を持て的な意味合いはあるでしょう。それは百歩譲って納得出来ます。が、その後に耳を疑う言葉が。

 

本当は誰が原因なのかここで言ってしまうとクラスメイトを売ることになるので、一応最低限の真実だけ伝えておこうと思い僕が「それ、僕じゃないですよ」と言った直後、

 

「お前、男のくせに言い訳するんじゃないよ」

 

そりゃ、捉えようによってはただの責任逃れにも聞こえますから、僕の伝え方にも問題はあったでしょう。ただねぇ、そこじゃないんだな~。この場合何故ミスが起きたのか・どうすれば良かったのかについて言及するべきであって、誰が言ったかはそこまで重要じゃないんですよ。聞く耳を持っていない状態と言えるでしょう。

 

何をもって言い訳とするのかはさておき、この台詞からいくと男は何があってもすんなり受け入れろということでしょうか?もし女子が同じ事を言っていたらどう返すのか気になるところです。たぶん違っていたでしょう。普段から扱いに差があったし。

 

予想にはなりますが、この発言の意図はおそらくとにかく自分の怒りを解消させたいというものだと思われます。だから怒りの矛先はとりあえず誰でも良かったんです。本当の原因は何なのかより、自分の怒りを発散させることを優先させた結果のあの発言ということです。実際、頭に血がのぼったような状態でしたし。

 

 

このように、「男のくせに」「若いくせに」という的外れな指摘は意外とよくあるものです。

 

本来考えるべき問題から目を背け、誰が言ったかで物事を判断するのは控えめに言って思考停止としか思えません。感情に完全に支配されて思考がどこかに飛んじゃっている様はもはや滑稽とも言えます。あ、失礼、言い過ぎました。

 

体験談を例に出しましたが、「数学者の1+1=3だ!」という主張と、「小学生の1+1=2だよ」という主張を比べてもらえばより分かりやすいかと思われます。誰がなんと言おうと1+1=2です。それに変わりはありません。誰が言ったかに拘る話し合いの出来ない方々はそれでも数学者を信じるのでしょうか?専門家が言えば全て真実なのかというとそんなことはありません。逆に知識人じゃない人の主張が100%間違いと言うこともあり得ません。本当の問題は何を言ったのかです。

 

僕の体験談で言うと、僕が否定しているわけですからとりあえず話を聞くのが妥当です。そのあとで間違っている点があれば訂正してくれればいいんです。端っから誰が言ったかで決めつけて切り捨てるのは大人として、いや、人間としてどうなんですかね?

 


 

この体験から分かったのは、人に分かりやすく説明することの大切さです。僕の言葉足らずな部分は反省の余地がありますから。みんながみんな全てを察してくれるわけでも気づいてくれるわけでもありません。感情に振り回されがちにも分かるように丁寧すぎる位の説明を今でも心がけています。こちらの努力次第では分かってもらえる可能性がありますから。また、自分の説明能力も鍛えられるので、一石二鳥と言えるでしょう。

 

ただ、中には何を言っても分からない方もいます。男はこう、女はこうみたいな差別主義的な要素が強い人だと手に負えません。そういうときは極力関わらないようにしましょう。疲れるし時間が無駄になるだけです。

 

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