こたつウサギの寝言

思ったこと・感じたことをつらつらと

「一年生になったら」に感じる違和感

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今考えてみたらちょっとおかしいのでは?と思えるものを発見しました。それは、「一年生になったら」という有名な歌について。

 

誰もが一度は聞いたことがあるであろうこの曲。その中の「友達100人できるかな」と言うフレーズがどうも引っかかるんですよね~。

 

結論から言うと、友達なんて量じゃなくて質だと思っています。多ければ良いってもんでもなくて、少なくても親密な関係を築ける間柄の方が大事なんじゃないかと。そう思うからこそ、僕は今数人しか友達と呼べる人がいないし、上辺だけの関係は清算していますし。

 

さらに言うと、小学校の友達なんて大人になったらほぼ会いません。現在大学生の僕でも1年に2,3回、1人~2人くらいしか会わないですから。多い・少ないを気にする必要が全くと言って良いほど無いんです。友達と呼べる人ですら数回しか会わなくなるわけですから、仲が良いんだかどうか分からない程度の人とまで友達になる必要はこれっぽっちもないことがお分かり頂けるかと思います。

 

でも、小学生にそんなこと分かるわけがありません。友達が少なくても親しい人がいることが大事であることなんて。僕だって小学生の頃は、「友達少ないなぁ」ということで悩んでたことあったし。

 

そんな純粋で右も左も分からない7歳に対して、「友達100人出来るかな」は友達って多い方が良いのかと思わせるきっかけになりかねません。というか、遠回しに友達は多い方が良いんですよ~と言ってるのと変わりません。卒園~入学までに何度も何度も聞くほど有名な曲で、友達多い=良い・一般的・楽しいという形を刷り込まれることに恐怖すら感じます。

 

話ちょっと変わるけど、これ作詞した方って絶対外向的な方ですよね。別にそれを批判しているとかじゃなくて。大勢居ることに楽しさを感じるという時点でおそらくそうでしょう。内向的な人が書いていたとしたら、「友達百人出来るかな」じゃなくて「気の合う友達出来るかな」になるでしょう。控えめに言うと。もっと攻めるとすると、「友達なんか数じゃなくて質だ」とか言っちゃってるかも。

 

他にも「富士山の上でおにぎりを」という歌詞がありますが、内向的な人が書いていたらそんなこと書くはずがありません。だってご飯は多くても数人もしくは1人の方が美味しく食べられますから。100人もいてごらんなさい。落ち着かない、居心地の悪い空間のできあがり。おにぎりなんて悠長に食ってる場合ではなくなります。

 

結局何が言いたいか。

・友達は量じゃなくて質

・友達多いことが正しいみたいな誤解を招くことすんな

 

以上。