こたつウサギの寝言

思ったこと・感じたことをつらつらと

花束をもらっても嬉しくないと感じる理由を考える

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どうも、ダービーです。

 

ちょっと前まで卒業シーズンということもあり、僕も後輩から花束をもらう機会がありました。

 

が、正直言うと、嬉しさ50%「いらねぇ‥‥」50%といったところ。

 

僕の場合、送別会の次の日が引っ越し。地元に引き上げる手段は10時間のフェリー。ゴミを全てまとめ、なるべく身軽で移動したい僕にとっては大きな誤算でした。

 

もちろんその気持ちはありがたいんですよ?

ただ、相手の都合も考えずに、送別会といえば花束!というような選択は正しいとは思えません。

 

今回は、花束をもらっても嬉しくない理由をハッキリ文章にしていきたいなと思います。これは、僕自身の思考を明確にすると共に、花束要らない派が理解できない!という方にむけた説明を兼ねています。

 

 

花束のもつ隠れたデメリット

 

①かさばる

 

言うまでもなく、花束はかさばります。

もらったその日に持って帰ることを考えると、非常に場所を取ります。たとえ大きめのカバンを持っていたとしても、花束を入れることを想定して作られたカバンはほぼ無いので、まるで役に立ちません。ということは、ほぼ100%帰りは手に持つことになるでしょう(車は例外)。

 

花束を受け取る人が、どこからどのようなルートで来たかきちんと理解していますか?ひょっとすると自転車で来たかもしれませんし、めちゃくちゃ遠くに帰る場合も考えられます(特にこれが送別会なら、そのままその地を離れる可能性も)。

 

また、徒歩やバスで帰る際、花束を手に持つことで「あ、あの人祝われたんだな~」と思われることすら嫌う人もいるかもしれません。決して多くはないと思いますが、この手の人からしたらたまったものではありません。「お願いだからこっち見んな」と言ったところ。

 

だいいち、あげる側にも大きな負担となるはずです。持ち運び時は同じくかさばりますし、直前まで存在がバレないようにするのも至難の業(知らんけど)。

 

②世話をする必要がある

 

もらったあとは、花瓶などに入れて定期的に水を替えなくてはなりません。

 

そのまま放置しても誰に何も言われないとしても、人からもらった物を粗末にすることはできません(僕の性格上)。

 

とすると、花束というプレゼントは、相手の時間を半強制的に奪うことに繋がります。花束をもらった瞬間「花の面倒を見る」という行為も一緒にもらうことと同じです。ついでに言うと、あげた相手が花瓶を100%持っている保証もどこにもありません。

 

言ってしまえば、花束のプレゼントはあげる側のエゴに過ぎないと思っています。

 

ぱっと見キレイですし、その瞬間はプレゼントとして映えます。写真撮影にも大活躍間違いなしです。しかし、メリットが終わった後には、それ以上のデメリットが待っているのが現実です(個人的な意見です)。

 

③捨てられない

 

人からもらった物であることに加え、花=捨てづらいものという印象が頭から離れません。

 

実用的なものの場合、使わないなら他人にあげるか、リサイクルショップ行きか、最悪捨てることも可能です。

 

しかし、花の場合使う・使わないの土俵に上がっていませんたいてい花を贈る場合には、そこに贈る側の気持ち・感情といったものが一緒に乗っかってくるものです。どうでも良い人・特に理由もなしに花を贈るということはまずないでしょう。そうすると、余計に捨ててしまう=相手の気持ちを踏みにじることに繋がってしまいます。

 

さらに、そもそも花は寿命がある生き物です。しばらく時が経つと自ずと捨てる時期がきます。そんな儚いものを、自分の手で早めに葬ることに抵抗があるのが花束。もはや、「えっ、もう捨てるの?まだこんなに咲いてるのに?いずれ寿命が来るのに?ひどい‥‥」と言われてる様な気がしてなりません。

 

世界で一番捨てづらいもの。それが、花。僕はそう思います。

 

考えられる、花束嬉しい派の意見

 

・貴重な時間を割いて選んでくれたのに

・その "気持ち" が大事

・もらったモノに文句言うな

・処分する前提がおかしい

 

これらの声が聞こえてきそうですね。分かります、気持ちは。賛否が分かれるテーマですからね。

 

まず、「せっかく選んで準備してくれたのに‥‥」は、完全にあげる側のエゴです。相手が選んでくれたものは必ず喜ばなくてはいけないというルールはどこにもありません。

 

また、「その気持ちが大事なんだよ!」に対しても同じことが言えます。あげる側がどんな思いでプレゼントしたかなんて知ったこっちゃないです。本当にその気持ちがあるのなら、言葉にした方が何倍も伝わりますし、嬉しいはずです。あげる側が「このように受け取れ!」と指示することはできないのです。

 

「もらったモノに文句言うな」派に言いたいのは、別に花束に代わるモノが欲しいとは思っていない、ということです。ぶっちゃけ、花束くれるくらいなら何も要りません。「コイツのためを思ってプレゼントしてやってるぜ!ドヤッ」みたいな顔するくらいなら、本当に何も要りません。こちらとしても、その期待に応えなくちゃいけない手間が省けます。

 

「処分する前提がおかしい」という意見もあるでしょう。しかし、処分するかどうかも同様にもらった側の自由。そして、要る・要らないも本人の価値観。あげたものは必ず保持するべき論はどこにもありません。これを読んでいるあなたも、一度くらいもらったプレゼントを捨てる or 売るなどしたことがあるでしょう。でないと、家の中は歴代のプレゼントで溢れかえってしまいます。

 

結論:一番のプレゼントは「気遣い」

 

モノは形があります。

よって、"プレゼント" というものが、誰の目にも確認できるので、捉え方によってはあげる側の感謝の押し売りとも考えられます(超ひねくれてるけど)。「誰かのための行為」がしっかり視認できるのです。

 

おまけに、モノのプレゼントは出来事に依存します。誕生日や送別会、◯年記念日、クリスマス‥‥など。頻繁にそう何度もチョコチョコあげるものでもありません。

 

それに対し、気遣いは目に見えません。最悪、相手にすら気づかれません。

相手からの感謝・反応・言葉すら求めない"さりげない気遣い" は、日常の中で何度もプレゼントすることができます。

 

区切りごとにもらう豪華なモノと、日常的にしてもらう気遣い

 

どちらの方が嬉しいと感じるかは人によって異なると思います。ただ、個人的には普段から贈られる小さな気遣いの方が、相手の気持ちがより伝わりますし、その見返りを求めない姿勢が余計に感謝したくなる側の人間です。

 

そもそも、プレゼントとは相手のこと(事情・置かれてる環境・性格など)まで考えて贈るものであるとも思います。

 

※もちろん、モノのプレゼントが嫌いとか、気持ちがこもってないとかは全く思っていませんよ。

 

まとめ

 

今回は、花束をもらっても嬉しくない派のモヤッと感を言葉にしてみました。

 

もちろん、プレゼント自体が嬉しくないわけではありませんし、その気持ちはありがたいです。

 

ただ、相手に何か贈る時って、相手に何をあげたら喜ぶか色々考えますよね?つまり、プレゼントは相手のことを考えて・配慮して選ぶ必要があるのです。

 

そしてその一つの要素として、相手の性格や価値観、環境など見えない部分にも気を配る必要が出てきます。そりゃ完璧には把握できません。そんな場合、モノという形以外でも良いと僕は思います。

 

プレゼントはモノでなくてはいけない決まりはどこにもありません。上述した日頃の気遣いやシンプルに言葉など、贈れるものはたくさんあります。

 

あなたは、この花束プレゼント問題、どのように考えますか?

 

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