こたつウサギの寝言

思ったこと・感じたことをつらつらと

絶賛自意識過剰中

僕は周りからよくこう言われる。

 

「考えすぎ」「気にしすぎ」「自意識過剰」と。

 

言われてみれば確かにその通り。自覚はしている。

 

どこかへ出かける時も、到着時刻から逆算して電車の時間や出発時間を決めて起きる時間を設定する。おまけに電車が遅延したときのことも考えてバスなどの別ルートも調べておくし、道のりも完全に把握しておく。

 

自分でも分かっている。やり過ぎ。そんなことする前に早く寝ろと言われても仕方ない。

 

いつかのアメトーークでオードリーの若林正恭さんがおっしゃっていた、シャンディガフが頼めないという話を思い出した。名前が洒落ているため頼みにくいという主旨だった気がする。あれには大共感したのを覚えている。お酒をそんなに飲まない僕からしたらシャンディガフを頼む機会すら無いが、似たような経験はしょっちゅうあるからだ。

 

例えば、ファッションに関係する言葉だ。なんでファッション用語というのは無駄に洒落ているんだろうか。

 

僕は「パンツ」なんか言い方はしない。いや、正確に言うと出来ない。あくまで「ズボン」。ファッションに特別詳しいわけでもないし、調子乗ってると思われてしまうんじゃないかと考えると絶対に口に出来ない。というか、いつからズボンではなくパンツという言い方が出てきたんだろう。「アウター」も然り。僕からしたらおこがましくてまず言えない。未だ「ジャンパー」止まり。

 

他にもある。例えば、「パスタ」という言い方。一気にオシャレな若者感が出てしまっているようでとてもじゃないが言えないし、「ランチにパスタを食べました」なんて文章は自分に自信がある人間の言葉だと勝手に信じている。大学生である僕は一応まだ若者に分類されるから許されるかもしれないが、僕は決してシャレオツ大学生とは言えない。だから今でも「スパゲッティ」で通している。うん、この方がまだ謙虚さが感じられる。安心だ。

 

僕の自意識過剰さは、言葉だけに留まらない。

 

それがスタバの存在だ。僕からしたら輝きすぎていて近づくことすら躊躇する。近づこうものならあのThe・リア充みたいな店員と客に白い目で見られる気がしてならない。実際そんなことないのは頭では分かっていても、だ。あそこは洒落た人のみ入ることが許される場所だと個人的には思っている。

 

まだまだある。コンビニや本屋でも僕の自意識過剰っぷりは発揮される。コンビニにしろ本屋にしろ、行ってから全ての買う物を決めることはまずない。だいたい買う物はいくつか心の中で決めた状態で店に入る。だから買い物に関して言えば僕は優柔不断ではない。

 

ただ、だからといって店に入ってさっさと買う物を選んでレジに行くのは躊躇する。なぜなら、「うわ、コイツお目当ての品ありきで来たのかよ。どんだけ欲しいものだったんだ?どれどれ‥‥」と思われてしまうのではないかという心配があるからだ。たぶん店員はそんなこと全く思っていないだろう。でもなぜか予防線を張ってしまう癖がある。だから、僕はいつも買うと決まっているものの前なんかで、ちょっと迷ってるふりをして無駄にぶらぶらしてしまう。本当は一刻も早く家に帰りたいのに。

 

たぶん、海外に行ったらこんなこと感じないんだろうと思う。つまり、海外暮らしをすればこんなに毎日気にせずに済むということだ。ただ残念ながらその予定は無い。就活も終わったが普通に勤務地は日本。はい、詰んだ。大人しく鋼のメンタルを身につける努力をすることにしよう。