「ありよりのあり」ってつまり只の「あり」
こんにちは、ダービーです。
皆さん、こんな言葉を耳にしたことはありませんか?
「ありよりのあり」
特に若者を中心に使われているこの言葉。僕も大学生ですから、友達界隈で使っている人はよくいます。僕の周りが多すぎるだけかもしれないけどね。そしてこれ使う人って十中八九ちょっとニヤニヤしながら言ってくるんですよね。え、何それ別に面白くもなんともないぞ、君たち。って言ってあげたい。言えないからここで話してるけど。もし何らかの意図があって使っているなら、その理由をお聞かせ願いたい。お気づきかもしれませんが、この話題、すごくどうでもいいです。今からどうでもいいことについて持論を展開していくので、「は?つまんな」と思った方はそっと閉じてください。
閉じましたね?本題に入りますよ。
僕にとってこの言葉のどこが突っかかるかというと、意味の重複です。詳しく説明します。
ありよりのあり
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なしよりのあり
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ありよりのなし
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なしよりのなし
ありかなしで分類すると、このような順番に並びますね。上はありで下はなし。真ん中2つは認識に差があることもあり、逆転することもありますが、周りの認識ではこれが正しいみたいです。
なしよりのありは「まあ、いいよ(思うところはあるけど)」、ありよりのなしは「悪くないんだけどどっちかというと無し」という感じの意味らしい。なしよりのなしなんて完全否定ということもあって使ってる人見たことないしまあ、あって無いようなものですね。
問題は一番上のありよりのありです。ありだと言い切っているのにも関わらず「より」とかつけてちょっと曖昧にしてるところが、個人的には引っかかります。
つまりそれ、「あり」じゃん。
「あり」なら2文字で済みます。わざわざ「ありよりのあり」と言うことで7文字にふくれあがるんです。3.5倍ですよ。意味は一緒なのに。単純に考えて短い方が良くないですか?それをあえて・ちょっと言葉を遊ばせて・ニヤニヤしながら・リア充っぽく「ありよりのありぃ~」なんて(完全偏見タイム)。その肩で風切ってる感がすごく気になるんですよ、個人的に。
でもよく考えるとこうした曖昧な言葉遣いが生まれるのって、現代の若者コミュニティにおいて空気を読むことや周りに合わせることが求められてるからなのかもしれませんね。傷つかないように、嫌な顔されないように。
あれ、そう考えると「あり」なんて完全な賛成・肯定・同調じゃん。一番トラブル生まないじゃん。やっぱり要らないわ、「ありよりのあり」