こたつウサギの寝言

思ったこと・感じたことをつらつらと

いるマナー・いらないマナーの境界線について考える

 

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どうも、ダービーです。

 

時が経つのも早いもので、もう3月。

僕も春から社会人の仲間入りをするわけなのですが、新社会人にとって切っても切り離せない存在があります。

 

そうです。ビジネスマナーです。

 

「新社会人が知っておくべきビジネスマナー○選!」や、「第一印象が大事!飲み会マナー」といったサイトをよく見かけます。

 

しかも、どれもこれもマナーは守って当たり前という前提の元に進んでいます。

 

そもそも、マナーは誰が決めたものなんでしょうか?なぜ当たり前の存在として鎮座しているのでしょうか?

 

ということで今回は、いるマナー・いらないマナーの境界線というテーマで持論を展開していこうと思います。

 

 

マナーの役割

 

まず、マナーが何のためにあり、どんな役割を持っているのかを明確にしたいと思います。

 

ズバリ、コミュニケーションを円滑にするためだと個人的には思っています。

 

相手を不快にさせないため、気分よくなってもらうため、常識のある人だと思わせるためなど、全てその後のコミュニケーションをよりよくするためであると言えそうです。

 

なぜこんなことから話し始めるのか。それは、この後の話で重要になってくるからです。

 

マナーの「腑に落ちない感」の正体

 

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僕を含め、一定数の方々がマナーというものに対して疑問を抱いているのではないかと思われます。実際、否定的な見方をしたサイトもチラホラ。

 

このモヤっと感はなぜ生まれるのか。

それは、納得いく説明がないからです。

 

マナーについて説いているサイトの中には、役割を完全に省いて話を進めているものもあり、説得力に欠けている印象があります(個人的にはね)。

 

・ビールを注ぐ時は、瓶のラベルを上に向けるのがマナーです!

・上司のグラスを空にしてはいけません!

・上司は上座、部下は下座が鉄則!

 

こういうのを目にすると、特に僕みたいな理屈っぽい人は拒否反応が出るのです。

 

マナーです!と声高に言ってるけど、それをすることでどんなメリットがあり、しないことでどんなデメリットがあるんだろうか。なぜそこまで説明しないのか。

と、あれこれ考えてしまいます。

 

「マナーです!」はもうじゅうぶん分かりました、と。で、そのマナーの必要性は果たしてどこにあるのか?という謎が残ったまま。

 

結論:納得できる答えの有無が境界線

 

巷にあふれるマナーについて説くサイトには、十分な説明がないことはすでに述べました。

 

ここで本題に戻ります。

 

いるマナーといらないマナーの境界線は、納得できる理由があるかないかだと思います。

 

僕なんかは、基本的に「納得感」で信じ動くタイプです。

嫌いな言葉は理不尽・常識・普通・当たり前、という人間です。「これはこういう意図があるから必要なんだよ」が明確でないと従いたくない、という筋金入りの面倒くさい奴です。

 

そりゃ、バカではないので、自分なりに理由を見つけて納得することもあります。

 

例えば、あいさつ。

社会人として、人として、あいさつがまともにできないのは大きなハンデです。なぜなら、人は第一印象がその後の評価まで左右するからです。初対面ならなおさら。きちんとしたあいさつと軽い笑顔があるかないかで大きく印象は変わってきます。

 

このように、やらなくてはいけない理由が明確 or 想像しやすいものは「納得感」が得られ、従います。

 

一方で、「それいる?」というマナーには、やる理由がまるで分からないものが多々あります。

 

例えば、先ほどちょっと触れた上司のグラスは空にするなというもの。

わんこそばのように間髪入れずに注ぐことでどんなメリットがあるんでしょうか。頑張って絞り出しても、気が利く奴だと思わせるためくらいしか思いつきません。

 

考えすぎ日本代表の僕からしたら、次もビールが飲みたいとは限らないし、個人のペースがあるから必ずしも正しい行為とは思えません。

 

反対に、グラスが空になったら次何にするか聞くのはまだ納得できます。ただ、マナーにまでする必要はないと思いますが。マナーにしてしまうと、変な強制力を持ちます。あくまでただの気遣いという位置づけでいいと思います。

 

まとめると、マナーだからやるなのではなく、それをすることでコミュニケーションが円滑に進むからやるというのが正しい理屈です。

 

POINT

 

・マナーだからは理由にならない

 

・存在意義を説明できないもの、曖昧なものは黄信号

 

 

いらないマナー撲滅の道は険しい

 

いらないマナーとは、ハッキリとした存在意義を説明できない理不尽なものです。

 

とはいえ、世の中には「こんなマナーも守れないのか!」と口うるさく言ってくるマナー警察の方もいらっしゃるでしょう。

 

この手の人には、マナーの持つ役割を聞いても・説明しても無意味でしょう。まして、「このマナーはいらない」と言っても無駄。「マナーは社会人の常識!」という固定観念に縛られていますから。

 

こういう人を相手にすると、あらゆるマナーを強要してきます。だって、常識だと信じて疑わないのだから。

 

いらないマナーを撲滅させる道は険しいと言えるでしょう。

 

まとめ

 

マナーは何のためにあるのか。

そこに立ち返ると、自ずと「マナーは絶対!」「守らない奴は社会人として終わってる!」という意見が的外れであることが浮き彫りになってきます。

 

と同時に、私たちも「守るのが当然」という思考停止せず、なぜやらなくてはいけないのか・どんな意味があるのかを考える必要があります。

 

マナーは虚礼であってはいけないと思います。形もある程度意味を持ちますが、本質は思いやりであると信じています。

 

なんか綺麗事になっちゃいましたが、悪しからず。もっと言いたいことはあったけど、まとまらないからこの辺で。

 

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