歩くスピードが遅い人の特徴を考えてみた
どうも、ダービーです。
突然ですが、あなたは歩くの速いですか?遅いですか?僕はちなみに速い方です。ってことで人混みなんか歩くと特にストレスが溜まるわけです。まあ僕が勝手に速くて自滅してるように思いますが。
人混みだと周りより速い人ってある意味邪魔なのかもしれません(代表して僕が謝ります、すいません)。間を縫うように足早に進むのは自分勝手だと思われても仕方ありませんよね。
でもこれは遅い人にも言えることです。たった一人遅いだけで後ろが詰まることは、都会ならよくあること。
さらにタチが悪いのが、集団で横に広がる方々。アルマゲドンだかHEROだか知らないけどやたら横一列に並んで歩く人もたまに見かけるわけです。これに出くわすと、僕なんかは「あれ?この人達他人の迷惑を考えてないのかな~?キムタククラスの主人公気取りなのかな?」と思ってしまいます。
話が逸れましたね。
歩くのが遅い人の一番強調したい欠点は、速いスピードには合わせられないということです。
基本歩くのが速い人は、遅い流れにも合わせられます。なるべく合わせたくはないけどね。ただ遅い人が速い方に合わせることはほぼ不可能。いや、速く出来るしと思った方いるかもしれません。でもね、いざ速くしようとしてもその速さってたかが知れてる。
普段から速く歩く人より脚の筋肉を使っていないため、速さもその持続力もイマイチであることが往々にしてあります。トレーニング積んでない人がいきなりマラソン走っても遅いしすぐバテるのと同じこと。
言い過ぎかな?でも今回は遅い人を非難する記事ではありません。
では何故そもそも遅くなるのか。その理由や僕が理解出来ないことを考えてみました。あくまで私なりに、ね。
身体的理由
これはさっき述べたような感じです。普段早歩きしない人は、してる人よりも脚の筋肉が使えていません。地面を蹴る力なんかが弱いということです。
また、これに加えて歩き方にそもそも異常があることも挙げられますね。接地時につま先がきちんと上がらないとか、靴を擦って歩くとか。
これは客観的事実なので原因がはっきりしています。ですから、個人的にはこれらが根本的な原因で遅い人にはそこまでイラつきませんし、ある程度共感できます。
移動が一種の目的になっている
これは身体ではなく意識の問題。この特徴を持っている人がちょっと理解できないんですよね、個人的に。移動自体に意味を見出すなよと。ただの移動じゃん。お散歩目的で歩いてるならわかりますよ。それが目的だから。もしくは複数人で歩いてたらおしゃべりもするから、まだ分かる。移動もある意味楽しいわな。
一番分からないのは一人で歩いてるのにものすごく遅い人。
単に筋肉とか歩き方が原因なのとは訳が違う。何見て分かるんだよ、と思った方もいるでしょう。分かるんですよ、氷山の一角に過ぎないけどね。それは、イヤホンをしながら歩いてる人。これは十中八九当たってると僕は思っちゃう。
音楽聴きながら歩くのって、それもう移動を少し楽しんでない?楽しんでないにしても移動そのものに意味を持たせようとしてない?
「歩いてると退屈だからその隙間時間に」なーんて考えでイヤホンしているのかも知れませんが、それがもう移動を小さな目的にしている証拠。そもそもイヤホンしてる人で歩くのめちゃくちゃ速い人を見たことが今まで一度もありません。
あ、あれですよ?周りと比べて少し速いとかは、ここで言う「速い」ではないですからね。「私イヤホンしてるけど速いから」なんて言わないように。もし本当に速い人がいるなら、それは十中八九でいうと二か一ということ。
また、イヤホンしててもバス待ちとかなら理解できます。待ち時間は自分の力ではどうにも出来ませんから。
しかし歩きは別です。自分の意志で移動時間は長くも短くもなります。歩いてると退屈とか思うなら、さっさと歩いて早く目的地に行けばいいのに。そのあとゆっくりしろよ、って思ってしまうんです。移動をやめた後の方が出来ることの幅も広がりますよ。
生まれつきや老いで足腰が弱く、急ごうにも速く歩けないとかなら共感できます。僕そんなに鬼じゃないんで。対してこの意識的な部分が原因で遅くなり、結果として脚の筋肉が衰えたという場合はあまり理解してあげられません。なぜなら原因の根本は意識だから。
まとめ
歩くのは速い方が良いとか悪いとかそういうんじゃないんです。僕個人が理解出来ないって話です。
むしろ「移動そのものを意味あるものにする」メリットを知りたいくらい。納得できる理由付きで。そしたら僕のこの歪んだ考えも変わるかもしれない。
でもこれだけは言える。どんなに歩くの遅くても構わないが、視界を狭める歩きスマホはダメ、絶対。危ないから。