こたつウサギの寝言

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必死にインスタ映え写真をあげてる人が「真のリア充」ではない理由

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どうも、ダービーです。

 

今やInstagramが爆発的な人気を誇り、利用者は日本人の4人に1人ともいわれているこの時代。2017年にはインスタ映えなる言葉が流行語大賞・年間大賞に選ばれるほど。

 

そんな「インスタ映え」に対する感じ方は様々。検索関連ワードには「うざい」「きもい」「嫌い」「痛い」などマイナスイメージの文字も並びます。

 

つまり、インスタ映えを気にして必死に写真撮っている人を良く思わない人が一定数いる、ということ。特に、リア充アピールをうざったく思う人がかなりいるようです。

 

そこで今回は、必死にインスタ映え写真をあげてる人が「真のリア充」ではない理由について、なるべく感情的にならずに冷静に考えていきたいと思います。

 

※僕自身そもそもInstagramをやっていないので、特定の誰かを想定しながら攻撃する、といったことなく第三者的立場から考えていきます。

 

インスタ映え狙い ≓ 承認欲求・自己顕示欲

 

よくある意見として、承認欲求・自己顕示欲が強いからというものがありますが、基本的には同感です。もちろん他の理由(自己満足など)があることも否定しませんが、これがかなり大きいと個人的には思います。

 

承認欲求とは「自分を認めて欲しい・尊敬されたい」といった欲求のこと。自己顕示欲とは「注目されたい・存在をアピールしたい」といった欲求のことで、承認欲求の一部と考えられているもののことです。

 

インスタにただ写真をあげるだけでなく、写真として映えるものを求めるのは、やはり他人に見て欲しい・認められたい・羨ましがられたいといった感情がどこかしらにあるからなのだと思われます。

 

自分の思い出として載せるというだけなら、わざわざ外面をキレイに整えたりしません。ありのまま載せるはずです。あえて自分の記憶と異なる写真に仕上げる必要がないから。

 

マズローの欲求5段階説

 

すでに、インスタ映えは承認欲求などからくる行動だと考察しました。

 

この承認欲求が、いかにリア充と離れた存在であるかを示してくれるのが、マズローの欲求5段階説です。

 

第1段階:生理的欲求

生きていくための本能的な欲求のこと。食べる、飲む、寝るなど。

まずはこれらが満たされている必要がある。

 

第2段階:安全欲求

安心・安全に暮らしたいという欲求。

住居や健康面など最低限の暮らしを得たいと思うのがこの段階。

 

第3段階:社会的欲求(帰属欲求)

集団や組織・グループに属したい、仲間が欲しいという欲求。

孤独感や社会的不安を払拭できることがここでは求められる。

 

第4段階:尊厳欲求(承認欲求)

他人に認められたい、尊敬されたいという欲求。

細かく言うとさらに2つに分かれ、他者評価への欲求と自己評価(自尊心)への欲求がある。

 

第5段階:自己実現欲求

ある一定の欲求が満たされると出てくる、自分らしく生きたいという欲求。

成長することそのものが目的となる。

 

自己実現欲求も2つに分けられるが、ここではあえて省略する

 


 

1から4は欠乏動機とも呼ばれ、「足りない」ものを補いたいという欲求に当たります。

 

 そして最大の特徴は、第1段階を満たされないと第2段階の欲求は出ないし、第2段階を満たされないと第3段階の欲求が出てこない、ということ。1を満たして初めて2を求めるといった具合に段階構造になっているのです。

 

ちょっと考えてみれば理解できるはずです。

 

食べるものがなく飢えている状態なのに、1人じゃ寂しい~とかならないですよね。「そんなことよりまずは飯!」となるはずです。

 

本題に戻ります。

 

結論、承認欲求を満たしたいインスタ映え民は、第4段階が満たされていない状態ということです。

 

承認欲求が欠乏しているんです。だからこそ、他人に認めて欲しい気持ちが前面に出て、リア充アピールに至るのです。

 

果たして、これを真のリア充と呼ぶ事ができるでしょうか?

 

真のリア充は心まで充実している

 

リア充という言葉の意味についてもう一度振り返ってみましょう。

 

リア充

リアルの生活が充実している人を指す言葉。

 

「リアルの生活が充実している」という言葉だけだと、かなりの人が当てはまるように感じます。

 

しかし、心(内面)に関してはどうでしょう?心まで充実しているかどうかという基準を持ち出すと、もう少しリア充率は減ると思われます。

 

真のリア充は生活も心も充実しており、華やかさに心の余裕が加わります。まさにリア充と言えるでしょう。

 

そして、この時リア充から外れるのが、インスタ映えを気にする欲求不満な方々。この場合の承認欲求に飢えている人たちです。一見華やかではあっても、認めて欲しいという気持ちが強いので心に余裕は少ないです。

 

でも人によっては、「段階1つ違うだけでしょ?大した差ではないじゃん」と思いますよね。

 

マズローの説の1から4は欠乏動機と言いましたが、5は成長動機と呼ばれます。

 

足りないから求めるのではなく、自分の成長のために求めるのが成長動機。このように、4と5の間には大きな壁があるのです。個人差はあるものの、それだけ承認欲求から抜け出すのは難しいということ。

 

また余談ですが、「リア充」は恋人の有無に使われる言葉でもあるけど、それなら尚更インスタのキレイさとリア充は完全なイコールではありません。素敵なインスタ写真をあげている人がもれなく恋人いるとは限りませんから。

 

インスタでリア充アピールするのはいいですが、それを本当にリア充として受け取ってもらえているかは怪しいかも。

 

まとめ

 

何度も言うように、インスタ映え写真を撮りたがる人全員が承認欲求の塊と言っているわけではありません。中には、趣味なんかとして撮っている人もいるでしょう。

 

ただ1つ言えることは、表向きはきらびやかでも、心まで充実しているとは限らないということです。

 

友達がたくさんいて、いつも誰かとつるんでいても寂しさを感じてしまうケースも同じく。(この場合第3段階:社会的欲求が欠乏)

 

ですから、アンチインスタ映え側も「ウザい」の一括りにするのではなく、心が満たされていないのかも、趣味として割り切っているのかも、といった色んな見方をすることが必要だと個人的には思います。

 

そうすれば、赤の他人にイライラすることも減ることでしょう。たぶん。

 

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