eスポーツ「スポーツかどうか」論争がこんなに白熱する理由を考察
ちょっと前からテレビなんかでもよく取り上げられているのが、eスポーツ「スポーツか否か」問題です。ここまで意見が割れて、白熱している問題はなかなかありません。
今回は、なぜこんなにもこの議論が熱くなっているのか、その理由を考えていこうと思います。 ※個人的見解です。
「スポーツ」という言葉の認識の違い
まず、Sport(s)という単語に対する認識が欧米と日本では違います。日本では、主に体を動かす運動という意味合いで使われます。それに対し欧米では本来、それ以外に「楽しみ・娯楽・競技」という意味も持っています。つまり日本での使われ方がかなり限定的なのです。
そもそもeスポーツ(エレクトロニック・スポーツ)は欧米で盛んになって、その後日本でも知られ始めた存在。欧米人が使い始めたeスポーツという言葉をそのまま日本に持ってきたが故の問題なんです。
海外ではチェスなんかもマインドスポーツに分類されるらしく、ある種スポーツです。しかし、日本では将棋や囲碁はスポーツなんて言い方はしませんし、分類されません。頭を使うという点では非常に近い存在なのにこうした違いがあるのには、やはりスポーツというものに対する認識に違いがあるからとも言えそうです。
スポーツ経験者の心理的側面
eスポーツをスポーツと認めない人には傾向があるように僕は感じます。それは、スポーツ・運動経験者です。学生時代や普段からそれなりに運動を続けている人が否定的な意見になりやすいと個人的には感じます。僕も昨年までの約9年間部活動に所属していたので周りの運動部員としての意見を色々聞いてきましたが、「あんなのスポーツには入んないよ笑」という否定的意見がやはり多めでした。
ではなぜスポーツに打ち込んできた人は認めたがらないのか。それは、過度なスポーツ信仰的傾向があるからなのではないか?という仮説を立てました。勝手に。小学校では図書室や教室にこもって読書するばかりじゃなく、外に出てみんなと運動する事こそ健康だ!とかワケ分からない理論を言ってる教師も中には居ましたし。
学生時代、帰宅部ならびに文化部を無意識のうちに下に見ている運動部員は少数ながらいます。もちろん全員がそうだと言っているわけではありません。ただ、文化部や帰宅部の人よりはそういった割合が高いのです。僕の見てきた範囲でしか言うことはできませんが、無意識のうちに汗水垂らして運動していること=健康・青春→素晴らしいと偏った考えをしている人が比較的多いのが運動部です。
ある日の朝の情報番組で、長嶋一茂さんが「スポーツとは、体を動かして汗水流して筋肉痛を伴うものだ」という主旨の発言をしていました。
これは、上述した本来のスポーツの定義から考えるとかなり偏った意見です。「スポーツとはこういうものだ、それ以外は認めん、あんなのただ座ってゲームしてるだけだろ」という、自分達が打ち込んできた「スポーツ」というものと一緒にされたくないがための否定なんでしょう。
しかし、これでは頭が固いと言われてしまっても無理ありません。だって、自分の信じてきたこと・自分の認識に拘りすぎて他の存在を真っ向から否定するなんて、全く柔軟じゃありません。他に対する受容がなさ過ぎです。
意見が言いやすい議題だった
もしこれが仮に政治的な問題や法律的な問題だったとしたら、ここまで色んな意見が飛び交わなかったでしょう。ここまで白熱しているのは、大衆が意見を言いやすい問題だったからです。
この現象は、「自転車置き場効果」と呼ばれています。
一般人には理解が出来ない複雑な問題の場合はその道の専門家などに任せて、誰も口を挟みません。ただ、大衆的で身近な問題の場合は口々に意見を言い、無駄に白熱する傾向があります。浮気なんかが最たる例でしょう。芸能人が浮気をしたというニュースは、政治なんかよりだいぶ一般人が好き勝手意見を言っています。それは、分かりやすくて触れやすい議題だから。
白黒ハッキリ派でない人もいる
このeスポーツ論争は、決してスポーツ派とNOTスポーツ派に二分されるようなハッキリした構図ではないように思われます。
例えば、ゲームといえど意図した指の動きをして、時に反射神経を使い戦略を考えるという点でスポーツとも言える。が、一方で他のスポーツ同様の括りとは言えるのだろうかという、半分賛成半分反対みたいな立ち位置の方も居るのではないでしょうか?ちなみに僕もたぶんここに分類されます。
こうした、ハッキリとこっちが正しいと言い切れない部分があることで、議論がより白熱しているようにも感じられます。
この4つが、大きな要因だと個人的には思っています。が、何度も言うようにあくまで個人的意見です。
さて、あなたはどっち派ですか?